
第12回 中村清太郎 One and Only〜クラシック・ロングボーディングへの回帰
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レジェンドの父親の元で湘南で生まれ育ち、中学卒業と同時にケビン・コネリーとジョエル・チューダーらが住むカリフォルニア・サンディエゴに渡ってクラシック・ロングボーディングのスタイルに磨きをかけた中村清太郎。
時は90年代のロングボード・リバイバルの真っ直中で、トーマス・キャンベルの不朽の名作『The Seedling』に唯一日本人としてフィーチャーされたことでも世界的な評価を得る。帰国後はその正統派のカリフォルニアスタイルに磨きをかけ、現在に至るまで多大な影響を与えている唯一無二の存在。
もし中村清太郎が日本のログシーンに登場していなかったら、どうなっていたことだろう? その足取りを辿っていくと、全ては偶然ではなく、導かれた必然であることは明らかだった。
(Photo: Yuto Nishikawa)
そもそもプロロングボーダーの道に進んだきっかけは?
父が元プロロングボーダーで、日本のロングボード界のパイオニアでもある中村清一郎なんです。そんな環境だったので、家にはサーフィンの雑誌やビデオがいつもあって。自然とロングボードに惹かれていきましたね。
何歳ぐらいでサーフィンを始めたの?
小さい頃から父がサーフィンをしているのは知っていたんですが、実はあまり興味がなかったんです。始めたのは中学2年生の頃だったと思います。1つ上の先輩だった佐久間洋之介くんや沼田裕一くんがサーフィンをやっていると聞いて、同期の友達と一緒に始めたのがきっかけです。最初は逗子のビーチで友達と一緒に入りました。その後は、父の家から近かった茅ヶ崎のチサンによく通うようになりました。
当時は茅ヶ崎でも中学生でロングボードをやっている子どもは珍しかったのでは?
そうですね。同い年くらいでロングボードをやっている子は、周りにはほとんどいなかったと思います。最初に始めたときは、浮力の少ない少し長めのミッドレングスに乗っていたんですが、パドルも大変でなかなか波に乗れなかったんです。そんなときに父から「ちょっと長いのに乗ってみな」とロングボードを渡されて、それでやってみたらたくさん波に乗れるようになって。どんどん楽しくなっていったのを覚えています。
その後、中学を卒業してすぐにカリフォルニアに渡ったんだよね。
はい。きっかけは、2001年のJPSAロングボード・グランドチャンピオンの枡田琢治さんに、憧れていたケビン・コネリーを紹介してもらったことです。たしか、15歳。中学を卒業してすぐのタイミングでした。 それまでにも父と一緒にプロの試合を観に行ったことが何度かあって、琢治さんともそのときに知り合いました。
中学2年の後半くらいから「いつか留学したい」と思い始めてはいたんですが、どこに行くかまでは決めていなかったんです。 ロングボード・マガジンやビデオで見て憧れていたケビン・コネリーやジョエル・チューダーがカリフォルニアにいると知って、ちょうど彼らのことを知っている琢治さんが紹介してくれて。中学卒業後にサンディエゴを訪れてみたら、海はもちろん、街の雰囲気も素晴らしくてすぐに決めました。


実際にカリフォルニアに行って、彼らのサーフィンを間近で見る機会もあったと思うけど、どう感じた?
スーパースターたちは、やっぱりオーラがありましたね。でもそれだけじゃなくて、年齢に関係なく、スタイリッシュなサーファーが本当に多くて。みなさんとても美しいサーフィンをされていました。 本物を間近で見ることができて、すごく勉強になりました。ただ、海の中では多くを学べた一方で、海以外では自分もまだまだ未熟な子どもだったので...。もう少し大人だったらもっといろんな経験ができたのかなとも思います。
カリフォルニアには結局どのくらい滞在して、どの辺りでサーフィンしていたの?
1997年の16歳からトータルで3年半ほど滞在しました。サーフィンは、エンシニータスのカーディフからスワミースの間をメインに入っていて、まさに"サーフィン修行"のような毎日でした。 平日はプライベートスクールに通い、語学を中心に学びながら、高等科のカリキュラムもしっかりこなしていました。
ケビンやジョエル以外にも、上手いサーファーはたくさんいたと思うけど、中でも特に影響を受けたのは?
凄い人だらけだったのですが、デヴォン・ハワード、タイラー・ハジーキアン、ミッチ・アブシャー、エリック・サマー。それから、同年代だったんですが、すでに亡くなってしまったサイラス・キングにも大きな影響を受けました。
マリブに行けば、マット・ハワードやブリタニー、ジョシュ・ファブロー、デーン・ピーターソン、カシア・ミーダーなどもいて。 カーディフではたまにロブ・マチャドが入っていたり、スワミースでは突然ケリー・スレーターが登場したこともありました。
そういう意味でも、驚きや刺激の連続でしたね。さっきも言いましたが、かっこいいサーファーが本当にたくさんいて、見ているだけでも楽しかったです。 竹井達男さんともカリフォルニアで出会いましたし、トーマス・キャンベルも同じ街に住んでいましたね。
トーマス・キャンベルの『The Seedling』(1999年作品)に出演したことで、世界的に名前が知れ渡ることになったけど、その後の反響は大きかった?
そうですね。当時は実際にどれほどの反響があったのか、正直なところあまり実感はありませんでした。ただ、時が経つにつれて、「観たよ」「影響を受けた」と声をかけてもらうことが増えて、自分が思っていた以上に多くの人の目に触れていたんだなと感じるようになりました。
実際、エンシニータスのプレミア上映会にいた日本人は、清太郎の他におそらく自分と竹井達男くん位しかいなかったけど、撮影している時は今後の世界のロングボードの流れが変わっていく作品ということは感じていた?
今でこそ"名作"と呼ばれるようになっていますが、撮影していた当時は、ただ目の前のセッションや空気感を楽しんでいたというのが正直なところです。まさか、あの映像がここまで長く語られるようになるとは思ってもいませんでした。
日本でJPSAのプロ資格を取ったのはいつ?
帰国してすぐか、一時帰国のタイミングで、プロテストを受けて合格したんだと思います。たしか18か19歳くらいの頃ですね。その後は、カリフォルニアから本格的に帰ってきて、JPSAのプロツアーをフルで回るようになりました。
清太郎のライディングを見ていると、それまで国内のコンテストでは見ることのなかった正統的なクラシックロングボードのスタイルを継承していると感じるけど、これはやはりお父さんの影響が大きいのかな?
父の影響は、やはり大きいと思います。ミッキー・ドーラやデビッド・ヌイーバが父の憧れのサーファーで、自分も一緒に昔の映像を観て、「すごく格好いいな」と感じたのをよく覚えています。今でもそのスタイルには強く惹かれています。 ジェリー・ロペスやハービー・フレッチャーのムービーも、子どもの頃からよく観ていましたし、最近ではロビン・キーガル、ハリソン・ローチ、ジャレッド・メル、カイ・エリスといったサーファーたちにも多くの刺激を受けています。
日本人でも、尊敬している先輩や影響を受けたサーファーは本当にたくさんいますが、中でも特に印象に残っているのは、長沼一仁さん、マメ増田さん、青田琢治さん、抱井保徳さん、近江俊哉さん、枡田琢治さん、宮内謙至さん、小川徹也さん、尾頭信弘さん、山田達也さん、佐藤和也さん、中村竜さん、安藤清高さん、大木新次さん、佐久間洋之介さん、沼田裕一さん、原田俊広さんです。
同世代では植田梨生くん、吉田泰くん、後輩では藤村篤くん、抱井暖くん、瀬筒雄太くん、新城譲くん、小林雅仁くん、前場錬くん、小林直海くんたちにも、日々刺激をもらい続けています。
最近、サーフトリップには行っている?
最近は海外へのサーフトリップにはしばらく行けていませんが、国内ではここ数年、毎年一度ほど青森を訪れていました。最初に訪れたのは、カメラマンのペロさん、瀬筒雄太くん、小林雅仁くんらとご一緒した雑誌の取材がきっかけでした。それ以来、その土地の魅力に惹かれて、毎年秋口の、寒くなる少し前の時期に通うようになりました。
また、竹井達男さんとは青森でも数年にわたって撮影を重ねてきましたが、その様子の一部は、今年『サーファーズジャーナル』の記事でも紹介されました。波にも恵まれ、自然も美しく、本当に素晴らしい場所だと感じています。
(Photo: Junji Kumano)
自身でチョイスするサーフボードについて。
サーフィンを始めた頃から、シングルフィンのロングボードに乗ることが多かったため、そのイメージが定着しているかもしれません。ただ、シングルフィンに限らず、ミッドレングスややや短めのボードにも興味があり、気分やコンディションに応じて乗ることもあります。これまで様々な長さのボードに乗ってきましたが、ロングボードに関しては、自分らしさというか、自分のサーフィンをもっとも自然に表現できる長さは、9'7"〜9'9"あたりなのではないかと、あらためて感じています。
最後に、清太郎にとってサーフィン、ビーチとはどういうもの?
子どもの頃から、海は常に身近な存在でした。遊び場であり、日常の一部でり、そこにあるのが当たり前の風景だったと思います。 季節の移ろいとともに表情を変える海の景色は、今も変わらず心を惹きつけてくれます。
サーフィンは、日々の生活リズムや心の状態によって向き合い方が変わることもありますが、どんなときも気づけば、自然と海へと足が向かっている。やはり自分にとって海は、ただの場所ではなく、自分自身のあり方そのもの... 生き方そのものなのだと、あらためて感じています。
中村清太郎(なかむらせいたろう)●1981年生まれ、神奈川県逗子市出身。中学卒業後にカリフォルニア・サンディエゴに移住し、クラシック・ロングボーディングのスタイルに磨きをかける。世界のロングボードシーンを一変させたトーマス・キャンベルの『The Seedling』(1999年)にジョエル・チューダー、デヴォン・ハワードらと並び、唯一の日本人としてフィーチャー。2025年にはUSサーファーズジャーナル誌で特集が組まれた。主な戦歴は2003年JPSA第2戦マーボーロイヤル・カップ優勝、2012年JPSA特別編オッシュマンズ・スタイルマスターズ優勝など。
インタビュー/川添 澪(かわぞえみお)●神奈川県鎌倉市出身・在住。カリフォルニア州立大学サンディエゴ校・サーフィン部卒。日本の1stジェネレーションのサーファーを父に持ち、幼い頃より海外のカルチャーに邂逅。90年初頭から10年間に渡り、カリフォルニア・サンディエゴ〜マリブに住み、ロングボード・リバイバルを体感。帰国後はON THE BOARD編集長に就任し、GLIDE他の雑誌媒体を手がける。これまで独自のネットワークでリアルなカリフォルニアのログ、オルタナティブサーフシーンを日本に紹介。