第2回 JJウェッセルズ The Tradesman〜ブランドを司る多彩な才能

第2回 JJウェッセルズ The Tradesman〜ブランドを司る多彩な才能

ミッチ・アブシャーと共にBEACHED DAYSブランドのクリエイティブを担当するJJ・ウェッセルズ。これまでもCAPTAIN FIN CO.やスコッティ・ストップニック主催のCYCLE ZOMBIESを始めとする様々なユニットに携わり、写真、映像やアートなどにおいてそのマルチな才能をいかんなく発揮している。

もちろんロガーとしての実力も確かで、テクニカルなフットワークとノーズライドで数々のムービーにフィーチャーされ、ジョエル・チューダーのダクトテープ・インビテーショナルにも招待されているほど。連載STORIES第2弾は、そんな様々な一面を持つJJの姿に迫る。

 

 

小さい頃は、TLCのメンバーの中では誰が一番好きだった? それともブリトニー・スピアーズのポスターを自分の部屋に貼ってたりした?

Don't go chasing water falls♪ 自分はポップスターにゾッコンだった時期はないな(笑)。それはどっちかというとミッチの専門分野だよ! 両親がメガデスとかメタリカ、オジー・オズボーンを聞いているような家庭で育ったから、残念ながらポップミュージックにはあまり触れてこなかったんだ。

 

普段はどんな音楽を聴いているの。

最近はもっぱらPodcastでその時の気分に合わせて。後はブルース・ブラウンのムービーのサントラやレイ・バービーとか、サーフ・インスパイア系といったところかな。

 

ブリトーとハンバーガーはどっちが好き?

どっちも好きさ。ただ奥さんがヘルシーフリークだから、結婚してからは日々健康的な食生活なんだ。ファストフードを食べてると、「あれ、いま何食べてんの!って細かいチェックが入るから(笑)。それまではシリアル好きだったから、朝昼晩に食べていたほどなんだけどね(笑)。

 

アメリカ人ぽいね(笑)。日本食はどう?

生の魚が食べられないから、いわゆるスシ・ガイじゃない。刺身は苦手なんだ。でもラーメンは好きだよ。

 

子どもの頃はドラゴンボールとか観てた?

いや、いわゆる日本のアニメにはハマっていなくて、アメリカンスタイルの手書きのキャラクター、ルーニー・トゥーンズ(ワーナーブラザーズのカトゥーン)のバックス・バニーとかヨセミテ・サムがお気に入りだった。よりアートっぽい感じがするからね。親父はバックス・バニーのタトゥーを入れているんだ。

 

 

では本題に入ろう。来たる5月にはBEACHED DAYS Aquatic Divisionからキミがシェイプ・デザインしたThe Commonorが発売になる。日本ではインスタに画像を掲載してから問い合わせが殺到してるんだよ。

うれしいね! これまで長いことガレージシェイプをしてきたけど、売り物ではなくすべて自分や妻のために作っていた。本気でビジネスとしてやって行くには難しいからね。いまはクリス・クリステンソンにスポンサーされているから、自分のボードはすべて彼にお願いしている。彼はとてつもなく優れたシェイパーだし、アイデアを具現化できるスキルがあるからね。だから自分では機会があれば妻にシェイプしているくらい。

今回BEACHED DAYSから話しをもらって、自分のシェイプしたモデルをリリースすることになったんだけど、The Commonorはユーザーフレンドリーでサーフィンを身近に楽しめるオールラウンドなデザインになっている。ベースは幅広のテールでキック(テールロッカー)が付いたノーズライダーではあるけれど、9'2"と9'6"と長すぎないからターンがしやすい。また、適度な軽さで持ち運びもそれほど困難じゃなく、重すぎないから回転性も良い。

もちろん自分も本当に波が良いときにはクリスのシェイプボードを手にしてしまうとは思うけど、家族や友達と一緒に普段の波のコンディションで楽しむ時には手軽にサーフィンを楽しめる1本だと思う。どんなレベルのサーファーでも楽しむことができるし、それこそがBEACHED DAYSのブランドコンセプトだから。

 

一方、クリステンソンから昨年リリースされた君のモデル、Tradesmanについて教えて。

彼はマスタークラフツマンで、自分がサーフィンしているよりも長くボードシェイピングを手がけている。そんな彼に自分のモデルを作って貰えることはとても光栄だ。

ベースは自分がガレージでシェイプしたお気に入りのボードをクリスのファクトリーに持ち込んだのが始まりで、そこから彼の解釈で再構築して完成させた。ノーズ・テンプレートは自分のもので、テール・テンプレートはクリスの古いボードから。それらを組み合わせて、彼と一日シェイプルームにこもって、共に作り上げたのさ。ノーズライドはもちろんだけど、テールの動きが軽くて、ターンがしやすいとてもユーザーフレンドリーなボードに仕上がっている。最初に作ったハンドシェイプは、この先もずっとキープするつもり。これまで9'5"、9'6"、9'8"と3本のボードをテストして、個人的には9'5"の長さがいちばんしっくり来る。でも、サンオノフレみたいなゆったりした波には9'8"がいいかな。

 

 

Tradesmanの名前の由来は?

自分が乗っているダッジB300 Tradesmanから。数年前にドイツ人の知り合いから安く手に入れたんだけど、古いVANは格好良くて好きだし、とても気に入っている。あとは父親が大工で職人(Tradesman)だったことから名前を付けている。ここ(カリフォルニア)ではサーフィンって元々はブルーカラー(労働者階級)のもので、彼らは自分達の手で物を作り出す職人達。彼らのことはリスペクトしているし、サーフボードも同様に一本一本職人の手で仕上げられている。壁に飾って眺めるものではなく、海で実際に乗って欲しいという願いも込めている。

 

以前は日本のセダンにも乗っていたよね。ティン・オジェダ制作のムービー『EXPENSIVE PORNO MOVIE』(2014)のカバーで有名な。

ああ! 1985年製のトヨタ・カローラだ。たった$300で手に入れてオイルも変えずに7年間も乗っていたけど、トヨタは間違いなくベストカーだ。燃費も良いし、まあ壊れない。リンコンやマリブへのサーフトリップだけじゃなく、オフロードで手荒に扱っても問題なし。

カローラに乗って分かったことは、自分のペースでスローレーンを走るのも悪くないってことかな。巷には新しい車がいっぱい走っているけど、物の価値は値段じゃないことがよく分かる。車のローンの支払いのために家族や自分の時間を犠牲にするよりも、人生において大切なことがいっぱいあるからね。最後はガスケットが吹っ飛んで壊れてしまったけど、良い思い出しかない。懐かしいな。いまは子どもいるからより大きなスペースが必要で、トヨタ・セコイヤに乗っているけど、日本車の信頼と安心感は一番だ。

 

CYCLE ZOMBIESともツルんでいるけど、普段バイクには乗ることはあるの?

ハーレーやヴィンテージバイクはとてもクールだと思うけど、自分では所有してないんだ。たまにダートバイクとかに乗ったりするけど、公道で乗ったりはしていない。バイクにはサーフィンに通じるフリーダムの精神を感じるよね。父親やお爺ちゃんはチョッパーを持っていて、CYCLE ZOMBIESの奴らみたいにカスタムしたりしてた。さっきの話しに通じることだけど、もしお金と時間に余裕があればにバイクを買うかもしれないけど、いまはサーフィンが一番のパッションだからそれはないな。スコッティのところで売ってたのを見ていいなと思ったけど、軽く400万円もするんだぜ。

 

かつてCYCLE ZOMBIESのチームとも一緒に来日してるよね。彼らとの関係は?

フォトグラファー、フィルマーとして参加して日本に行ったんだ。最高にクールなトリップだった。その時、日本はとても美しい国だと思ったよ。

CYCLE ZOMBIESとの関係で言うとスコッティとは最初、2010年にジョエル・チューダーのダクトテープ・インビテーショナルのコンテストにフロリダに一緒に行ったのが始まりかな。当時は同じHURLEYのスポンサーが付いていて一緒にサーフィンするようになってから仲が良くなり、その後、CYCLE ZOMBIESチームの写真や映像を撮るようになった。雑誌ON THE BOARDの企画で彼らと一緒にムービーを作ったりした。バイクやサーフィンのシーンを撮影してね。

それからミッチやCJネルソン、アレックス・ノスト、タイラー・ウォーレンらと知り合い、サーフィンだけじゃなくハングアウトするようになったのも同時期だ。

 

JJはどこで生まれて、サーフィンをするようになったの?

生まれは1984年、LAのトーランス。その後すぐ、内陸のリバーサイドというところに引っ越し、10歳の時にオレンジカウンティのサンワン・カピストラーノに来て、いまも住んでいる。お爺ちゃん、お婆ちゃんがオランダ人で、父親がカリフォルニアで生まれた第一世代。サーフィンを始めたのは遅く、高校に入ってから。最初は両親の運転で家の近くのビーチブレイクのポーチに。その後、近所の軍隊で仕事をしていた人に、(サンオノフレの北の)ミリタリーベースに一緒に連れて行ってもらい、チャーチ(トレッソルズ)でサーフィンをしていた。いまもチャーチは一番のお気に入りのブレイクだよ。

ちょうどその頃、トーマス・キャンベルのムービー、シードリングが発表されて、シングルフィン・ロングボードの虜になった。彼はその頃、デイナポイントに住んでいて、ドヒニーで(中村)清太郎を撮影していたのも覚えている。

一番、最初に買ってもらったログはドナルド・タカヤマのモデルTだった。当時活躍していた年上のサーファーにはすごく影響を受けたよ。ジョエル・チューダーやミッチらの世代に。ロングボードマガジンでミッチの記事を読んだことも鮮明に覚えている。マット・ハワードやブリタニー・クインもまだカリフォルニアにいた頃だね。

 

現在の職業、肩書きは?

そうだね、言うなればプライベートな請負業者かな。いまは幸運なことに選んだなかで仕事をさせてもらっている。父と同じように自分の手を動かしてものを作り出すことが好きなんだ。サーフィンはものを作り出す上での原動力になっていて、同時にクリエイティブであるためにサーフィンが必要でもある。ブライアン・ベントやミッチ、アレックス・ノストやロビン・キーガルなど、周りに優れたサーファーがたくさんいるから日々刺激を受けるし、自分もクリエイティビティの観点でサーフィンに向き合っている。少し話しがそれてしまったけど、すべての仕事はサーフィン繋がりで始まっていて、写真、映像、アートを様々なブランドに提供している。BEACHED DAYSでも同様に自分のスキルを生かして、写真や映像だけでなく製品の開発やフィードバックにも携わっている。まだまだ新しいブランドではあるけど、楽しんでこのプロジェクトに参加できることを嬉しく思う。

 

 

自身のアートのバックグラウンドは?

元々はサンクレメンテの高校に入学して、サーフチームに入れなかったということがきっかけ。CTに行くようなレベルの高いサーファーだらけの学校で、コンペでトミー・ウィットに負けたのを覚えている。その代わりにアートのクラスに入ったんだけど、絵を描くのはとても好きだった。朝、学校に行く前にサーフィンして、放課後はアートに没頭。その後、ジュニア・カレッジでもアートを専攻して、スクリーンプリント、グラフィックデザイン、そして映像制作を学んだ。

高校の卒業と同時にベッカー・サーフボードからスポンサードされることになった。その繋がりで、ベッカーのショップTシャツのデザインの仕事も手がけたり、ブライアン・ベントと組んで彼のアートTを限定で作ったりした。

自分のアートは、やはりサーフィンと繋がりがあるものだけど、なかでも60年代のジョン・セバーソンやリック・グリフィンにすごく影響を受けている。アートはサーフィンと同じようにフリーダム(自由)を表現できるもの。学校ではスケッチとか風景画も学んだけど、自分のアートのスタイルは写真やものを見て書くのではなく、頭の中にある空想の世界で幅広く、自由に表現することだ。いまは時間の制約もあるけど、よりアートの制作に力を入れたいなと思っている。

息子はもうすぐ3歳になるんだけど、彼のためにTシャツをデザインしたり、3Dプリンターを購入して、小さいトイ(オモチャ)もいくつか作っている。でも実際、時間とお金と労力がかかるし、この位の小さい手のひらサイズのものを3Dプリントするのに20時間もかかる。それから小さい筆でペイントしていく地味な作業だけど、ただただ楽しい。これまで12くらいのキャラクターを作ったよ。もしそれらを売ったりしてもお金儲けにはならないけど、いまは色々学びながらやってるところだね。トイがフィンキーになったり、ワックスコームになるとか、そういう可能性もあると思うけど、誰かが興味を持ってくれるといいな。友人のタイラ−・ウォーレンやアレックス・ノストのキャラのサーフ・フィギア・トイとかも面白いんじゃないかなと考えている。

 

 

子どもはまだ小さいけど、海には一緒に行っているの? JJのビーチライフはどんな感じ?

ああ、もちろん。妻と自分はいまのカリフォルニアのライフスタイルに満足しているし、ここで子どもを育てることが出来ることにとても感謝している。この環境に住めることは最高なことで、ビーチには出来るだけ家族で出かけているよ。サンオノフレは、何世代にも渡り、それこそ50年、60年、70年前から変わっておらず、舗装されていない砂の道があって、昔と同じようにサーフィンができる。そして子どもがいても安心してビーチで楽しむことができる。

 

 

つい先日の週末も、水は冷たかったけど、とっても暖かい日でさ。他のファミリーと一緒に平和で特別な休日を過ごすことができたよ。カリフォルニアは気候が良いので、サーフィンしてビーチで過ごすだけでも最高だけど、これを当然のことと思わず、すべてのことに感謝して生きている日々なんだ。

 

インタビュー/川添 澪(かわぞえみお)●神奈川県鎌倉市出身・在住。カリフォルニア州立大学サンディエゴ校・サーフィン部卒。日本の1stジェネレーションのサーファーを父に持ち、幼い頃より海外のカルチャーに邂逅。90年初頭から10年間に渡り、カリフォルニア・サンディエゴ〜マリブに住み、ロングボード・リバイバルを体感。帰国後はON THE BOARD編集長に就任し、GLIDE他の雑誌媒体を手がける。これまで独自のネットワークでリアルなカリフォルニアのログ、オルタナティブサーフシーンを日本に紹介。

 

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