第7回 吉田 泰 Mr.Style Master〜プロロガーのネクストチャプター

第7回 吉田 泰 Mr.Style Master〜プロロガーのネクストチャプター

湘南・鵠沼に生まれ育ち、一足早くプロロングボーダーとなった同級生達の後を追いかけてプロに転向。その後はマジックフィートと呼ばれるケビン・コネリーに師事してクラシックスタイルのロングボーディングに磨きをかけ、第1回JPSA特別戦STYLE MASTERSでの優勝を始め、コンテストでもシーンでも実績を残してきたCHABOこと吉田泰氏。

同時に日本有数のスポーツチェーンでのバイヤー、のち世界的なセレクトショップの店長職を努めるも、数年前の大怪我をきっかけにこれまでのライフスタイルを見直すことに。今年、これまでの経験を生かして自身のサーフィンスクールを立ち上げ、新たなる一歩へと踏み出したプロロガーのネクストチャプターに迫る。

 

(Photo: Chihiro Hashimoto 2023.)

 

最近の活動は?

それまでアパレルの店長職という忙しい日々を過ごしていたところから、2年ほど前に怪我をして人生が180度変わりました。当時は重いヘルニアで会社を休んでいたんですけど、良くなってきてさあ会社行くぞ、っていうタイミングでまさかの不注意で高所からの落下により両踵を骨折して骨盤にもヒビが入るぐらいの大怪我をしました。最初は、医者からもう歩けないとか後遺症とかネガティブなことも散々言われたんです。

自分でももうサーフィンはできないかなというところからリハビリを頑張り、1年半ぐらいの主婦生活…。子供の世話をしたり、嫁のカレーのレストランの手伝いしながら、この後何の仕事をしようかなと考えた末にサーフィンの道場を開こうと。

一般的にプロロングボーダーは息が長いじゃないですか。でもここにきて肉体的な成長の限界を感じたのを機に、これまでやってきたこと、自分が果たせなかったことを次の世代の人たちに生かしてもらい、いまサーフィンを楽しんでいる人たちに伝えていくことを仕事にするのが良いのではと考えました。選手としてプロで現役をどこまで頑張っていこうかな、社会人は仕事頑張んないとご飯食べていけないなとか色々と模索したんですけど、怪我によってプランが全部崩れ、サーフィンだけの世界になった感じです。

やっぱりサーフィンが好きだから、怪我してリハビリする中でも道具を変えたり、とらえ方次第で楽しめるんだと考え始めたら、体も意外と動くようになってきました。

 

プロサーファーになったのはいつ、そのきっかけは?

JPSAルーキー・オブ・ザ・イヤーを取ったのは2007年ぐらいで24歳でしたので、実際にプロになったのは遅いです。幼馴染みの同級生、中村清太郎、植田梨生が先にプロになって、その背中を追っかけてた部分もずっとありました。なかでも自分は1番下手だったけど、アマチュアでも勝てるようになり、プロに転向しようと思っての結果です。

当時は個性豊かな先輩たちがいっぱいいて、後輩もそれについて行ってました。JPSAの試合も全国からみんなで集まって戦うローカルコンテストに近いイメージですね。それぞれのサーファーのシグネチャームーブがあって、それに加えてハワイからケコア・ウエムラとか、喜納元輝が参戦していて面白かったです。ASP(現WSL)の大会もあって、いまよりもっと海外からロングボーダーが日本に来ていた時代。また海外に行くきっかけもすごく多かったですし、カルチャーを身近に感じられる機会が多かったと思います。湘南にいれば、すごくそういう機会に恵まれていましたが、最近はコロナもあったりしてちょっと少なくなっちゃったかな。

 

海外と言えば、チャボの師匠でもあるケビン・コネリーとの関わりについて教えて。

最初は清太郎の繋がりで、19歳の時にケビンにオーダーしたシェイプボードに乗ったのがきっかけです。オンフィンで、それが自分の中のマジックボードになり、ロングボードがより楽しくなりました。ADRIFTのムービーでもジョエル・チューダーはもちろんですけど、ケビン・コネリーのパートは強烈でした。

当時はASPのコンテストやシェイプで頻繁に来日していて、日本で彼がサーフィンに行くなら何がなんでもついて行くみたいな感じで、最終的にはケビンの付き人みたいになってました(笑)。一緒にいてすごく可愛がってもらったし、色々な経験をさせてくれたましたね。遠征してコンテストに行ったらこうやって勝つんだ、とアドバイスももらいましたし、自分の背中を完全に見せてくれる人でもあったんで、国は違えど自分のなかのアニキでした。いまは家族でアリゾナに移住して、全くサーフィンしなくなっちゃったんで寂しいですね。

 

(with mentor, Kevin Connely. California  Photo: Yasuma Miura)

 

ケビンが100%監修した著書、『HOW TO NOSERIDE』の製作にも関わっていたよね? しかも翻訳した内容を一字一句確認していくという地道な作業で… いまから20年位前にケビンが住んでいたオーストラリアのヌーサヘッズにも行っていたかと。プロになる以前の話しだよね。

カリフォルニアからヌーサに引っ越したケビンを訪ねて、1ヶ月位滞在してたかな。ヌーサは本当に最高で、ジュリアン・ウィルソンやハリソン・ローチなど、みんなありとあらゆるボード、スタイルでサーフィンしてましたね。カリフォルニア・サンディエゴにいた時も大学の休みの時にケビンや清太郎を訪ねて1ヶ月単位で何度も行ってました。エンシニータス周辺でよく入ってましたね。

 

これまでのプロ活動のハイライトは?

JPSA特別戦STYLE MASTERSの優勝2回とJPSA静波の優勝1回、あと準優勝が1回です。その頃は、大会に出ることによって、いろんな影響をめっちゃ受けました。サイドフィン付きのロングボードに乗ってた時代もありましたが、第1回目のJPSA特別戦STYLE MASTERSが辻堂であってノーズライディングする時間とスタイルのなかで優勝できた時、やっぱこういう方が僕に合ってんだなと思うきっかけになりました。

 

(JPSA Special Contest, Style Masters)

 

そこからシングルフィンのスタイルをより深く追求していくんだね。

はい。プロになってからもケビンが作ってくれたボードがベースで、それまで道具に関してもあんまり自分で考えるっていうよりは、ケビンやY.Uさんがデザインしたものを乗りこなせるようになりたいと思ってたんです。だけど、30歳になって転職したタイミングでそれまでのスポンサーを全部辞めて、デーン・ピーターソンとの出会いから彼のボードをオーストラリアで2、3本、カリフォルニアで2本ほどオーダーして乗っていました。でもお互いに離れて住んでいるので、コミュニケーションを取るのが少し難しかったんですよ。その後、デーンとの繋がりで自分からお願いしてTAPPYさんにボードを削って貰うことになるんですけど、日本人同士なんでより深いコミュニケーションを取って、お互いのアイデアを形にできる関係になりました。なんか、自分の中のサーフィンがもう1回再構築していくみたいなイメージだったんです。そしたらボードの相性も良かったのか、比較的順調に楽しくサーフィンライフを再び送れるようになりました。1回目のスタイルマスターズの優勝は、Y.Uさんとケビンからもらったようなものがあったんですけど、2回目の2019年の時はTAPPYさんと色々なことをリレーションしてボードを作ってきて、自分のアイデアで勝てた感じで、また優勝の価値が自分の中で全然違っているんです。

 

普段は何本くらいのボードを乗り回しているの?

実はすごく多くて、短いフィッシュ、ツインザーやミッドレングス、ログとローテーションしていて、なかでもロングボードは10本ぐらいあって、そのうち3本ぐらいがスタメンみたいな感じです。調子が良くて、この波にはこれっていうのがあって手放してなく、いまも2本作っている最中。いま最新のお気に入りの3本はTRANSISTORブランドで、新城譲のシェイプもこれから仕上がってくるのでとても楽しみです。ベースは9'4"から9'8"の間でコンセプト的にはノーズをやりまくるボード、サイズがあるときにターンを楽しめるボード、あとは自分の基本に戻れるようなちょっと重めなボード、この3つですね。すべてシングルフィンで、ストリンガーとかにもこだわって完全に満喫してます(笑)。

 

最近立ち上げた自身のサーフィン道場、CHABORING DOJOについて教えて。

自分を通して学ぶことによって、なんか1つでもスパイスを加えてもらえるような道場にしたいなと。基本的にその人その人にあったパーソナルカスタムジムみたいな感じで行っています。あとこれからのサーファーを育ててみたいっていうのは、最近すごく感じますね。どうしたらもっと最短で世界に通じる子が出てくるのかと。これまで色んなことをサーフィンのために学んできたんで、だったら最短で渡して伸びてもらった方が絶対いいよなって思ってます。良い意味で踏み台になりたいですね! 自分が得意にしているのがノーズライドなのでやっぱりノーズの悩みや課題を持っている方も多いです。そこでロングならではの話しや過去の映像振り返って解説したりしていて、やればやるほどロングの魅力をより感じてしまうんで楽しいです。

 

(Chaboring Dojo  Photo: Chihiro Hashimoto 2023.)

 

あと、道場とは別なんですけど、先日東京都からの依頼で小学生にサーフィンを教える機会がありました。オリンピックとかもあって色々なスポーツのなかの一つとしてサーフィンが出てきたんですね。それで1番良かったのは、サーフィンをやりたい子だけに教えるじゃなくて、興味がない子も無理やり体育のようにやらされるんで、実際にやってみたらめちゃめちゃ楽しかったという感想がありました。実際に海での子供たちの楽しい笑顔を見ると、これはもっとやりたいなって。なかなかいい経験でした。大人に教えるのももちろんいいですけど、これからの子供たちに向け、基盤を作るために頑張りたいっていうのもあります。

 

(Kids surf lessons for Tokyo pref.)

 

地元、鵠沼は自分にとってどんなところ?

怪我して海に入れない時期が2年とか3年あったんですけど、やっぱり海は入ると元気になる場所ですね。やっぱり自然が教えてくれることが一番素直というか、調子に乗ってたら鼻を折られる日もあるし、逆に元気づけてくれる日もある。でも、波は毎回違うから毎回チョイスも変わるし考える。なんか大人になってあんまり怒られなくなったりとか、なんか刺激がちょっと足りなくなったりするのを、海は常に教えてくれるし、人にいろんなこと感じさせてくれる場だと思います。

昔といまの鵠沼は全く違っているとは思いますけど、やっぱりコアな部分というか、海の中のローカリズムっていうのは実はあんまり変わってなくて、その頃いた人たちが、いまもしっかり海を守ってくれています。昔に比べて人が増えた分、ローカルの人たちの存在とかが薄まっているように思えますが、自分ができることとして、スタイルや個性があってみんなが目で追っちゃうようなサーファー達やいいカルチャーを作れるようにしたいですね!

 

 

吉田 泰(よしだゆたか)

1981年生まれ。神奈川県藤沢市出身・在住。ノーズライディングを中心としたクラシカルなスタイルに定評のある湘南・鵠沼を代表するロングボーダー。これまでJPSA特別戦STYLE MASTERS優勝2回、JPSA静波の優勝他、プロコンテストで活躍する傍ら、日本有数のスポーツチェーンでのバイヤー、のち世界的なセレクトショップの店長職を努める。2023年よりサーフィン道場のCHABORING DOJOでロングボードへの探求と理解を深めるサーフィンスクールを主宰、またプロコンテストのジャッジにも携わる。

https://chaboring.com

 

 

インタビュー/川添 澪(かわぞえみお)●神奈川県鎌倉市出身・在住。カリフォルニア州立大学サンディエゴ校・サーフィン部卒。日本の1stジェネレーションのサーファーを父に持ち、幼い頃より海外のカルチャーに邂逅。90年初頭から10年間に渡り、カリフォルニア・サンディエゴ〜マリブに住み、ロングボード・リバイバルを体感。帰国後はON THE BOARD編集長に就任し、GLIDE他の雑誌媒体を手がける。これまで独自のネットワークでリアルなカリフォルニアのログ、オルタナティブサーフシーンを日本に紹介。

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