第8回 デヴォン・ハワード California Soul〜トラディショナル・スタイルの継承

第8回 デヴォン・ハワード California Soul〜トラディショナル・スタイルの継承

90年代から現在に至るまで、ロングボードとミッドレングスを誰よりもスタイリッシュに乗りこなすデヴォン・ハワード。そのルーツはジョエル・チューダー、ミッチ・アブシャーらと同郷のサンディエゴであり、カリフォルニアの正統派スタイルを継承する一人であることは間違いない。

近年はWSLロングボードツアーのディレクターとしても手腕を発揮。そして2018年にチャネルアイランズ・サーフボードのマーティング・ディレクターに就任すると、CIミッドの開発に携わり同モデルはミッドレングスのベストセラーとなったのは記憶に新しい。去る10月には、ウェイン・リッチと共に開発した新たなコンセプトのロングボードのCIログをひっさげ、昨年に続き来日を果たしたデヴォンに話しを聞いた。

 

 

多くの日本人サーファーにとって、君のことを知るきっかけになったのが、トーマス・キャンベルのフィルム『The Seedling』(1999年作品)だと思うんだけど、彼とは最初どうやって出会ったの?

ジョエル・チューダーが、故石田道朗氏と一緒にドナルド・タカヤマ(DT)との映像を製作していた時、ジョエルから紹介されたのが初めだね。後に、そのプロジェクトは資金が足りなくなってしまい、他のサーファーも含めた作品にして、『The Seedling』になったんだけど、結果として自分もキャスティングされることになったのはラッキーだったね。

 

アーティストでもあるトーマスからはどんな影響を受けた?

写真家、映画製作者として、トーマスは私のクリエイティビティ(創造力)に多大な影響を与えた。彼はどんなものでも撮影可能だと言っていた。つまり、どんな状況であっても、クリエイティビティによって、悪い波でさえ面白く見せることができるということ。私は常に周りにいるサーファーやシェイパー、そしてトーマスのようなアーティストがやっていることから強く影響を受けてきたんだ。

 

(The Seedling tour w/ Jimmy G and T. Guerrero)

 

90年代のロングボード・リバイバルがあり、世界のロングボード・シーンは『The Seedling』の前と後、つまりあの映画を境に大きな変革が訪れているよね。

トーマスは、ジョエルが当時のロングボード・サーフィンに対して抱いていたビジョンを実現するのに貢献したと思う。ジョエルとドナルドと二人がすべてであったし、彼らがいなければ今のロングボード・シーンはないよね。

あと、映画に出演したマット・ハワードやブリタニー・レナードのような他のサーファーたちも良かったし、タイラー・ハジーキアンとかも個人で素晴らしい活躍をしていたけど、ジョエルがトーマスと一緒に彼らに声をかけることによって、より多くの人々に広くリーチすることが出来たんじゃないかな。

ジョエルはモダン・ロングボード・サーフィンのキングだね。それは誰も否定できないことかと。私たちは一緒に育ち、彼はこれまで私に多大な影響を与えてきたから、これからも感謝し続けるね。

 

ドナルド・タカヤマが亡くなるまで、長きに渡り彼のシェイプするボードに乗っていたよね。

私が初めてドナルド(DT)に会ったのは、DTがジョエルのスポンサーになったときだから、ジョエルが12歳の頃で私が14歳。当時、私はまだショートボードに乗っていたけど、その夏に腰を骨折してしまい半年の間、海から離れていてね。サーフィンに戻ったとき、私はジョエルが持っていたロングボードを借りて始めた。最終的にはそれを売ってもらったんたけど、その後ウィンダンシーで壊してしまったので、DTに直接新しいボードをオーダーすることにした。最終的に彼からスポンサーを受けるようになったのは 19 歳か 20 歳頃だけど、その前から長く、深いつきあいだったから、彼が急に亡くなったときは本当に信じられなかった。

 (with DT at old HPD shop. Oceanside, CA)

 

若い頃からなぜロングボード・シーンを追いかけ、このカルチャーを愛しているの? 以前、君がロングボード・マガジン誌の編集者としての傍ら、世界のコンテストを廻り、サーフジャーナリストとして写真を撮り、記事を書いていたことを知らない若者も多いかと。

私が子供の頃、ロングボードはまったくクールじゃなかった。だからこそ私はロングボードが大好きだった(笑)。今ではとてもクールで、自分はもっと上手くなりたいと思ってる。20代、30代はそれほど上手ではなかったけど、40代で最高のサーフィンをして、もうすぐ50代。これからもずっと続けていきたいね。 いまは最高に調子がいいサーフボードがあるから、サーフィンがまた楽しくなっているんだ。

サーフジャーナリストとして、サーフィンの記事を書いたり、写真を撮ったりしていたのは、若いサーファーにとって最高な仕事だったことは間違いない。エネルギーが満ち溢れているから、一生懸命働いて、サーフィンして、楽しい時ことだけを考えて過ごしていても問題無い。でも年を取るにつれ、同じようなライフスタイルを続けて行くのは難しい。体に疲れも溜まってきて金銭的も厳しくなったんで、いまはマーケティングの仕事に転職したんだ(笑)。

 

今回はRHC千駄ヶ谷で君のスペシャル・コレクションの発表と、チャネルアイランズ・サーフボード(CI)のプロモーションでの来日だけど、日本に来るのは昨年に引き続き2回目だよね。本国、CIでの仕事はどんなもの?

CIは小さな会社で、私はマーケティング部門でキャンペーン戦略を企画し、展示会やツアーなどのコンテンツを実行している。SNSも含めてね。昨年はシェイパーのブリット・メリックとショートボードのタナー・ガダスカスとパーカー・コフィンと一緒で、自分はCIミッドのプロモーションだったけど、今年はライダーは自分一人で、CIログを日本の皆さんに紹介するために来日している。

 

自身も監修しているCIミッドやCIログについて。

これまでCIは、世界のトップサーファー達に最高のボードを提供してきた。いまそのレガシーは、創設者のアル・メリックからブリット・メリックに引き継がれ、ブランドを拡大してあらゆるカテゴリーのすべてのサーファーに向けて、最高のボードを作っている。CIミッドは、ここ数年でマーケットで大きな成功を収めているデザインのひとつ、。ミッドレングスのボードは、平均的なサーファー向けだと思うかもしれないけど、私たちは人々が可能な限り最高のサーフィンをできるようにするという目標を持ってデザインに取り組んでいる。もちろん、トップレベルのマイキー・フェブラリーといったライダーにも乗ってもらっている。

CIミッドとCIツイン、トライプレーンハルは最高に調子がいいから、これ以上ミッドレングスはもう必要ないんじゃないかと思っているほど(笑)。でもカリフォルニア、特に自分が住んでいるエリアは波が小さい日も多いから、ミッドレングスを毎日乗りたくても乗れないのが現実。日本もカリフォルニアと同様かと思う。

 

(CI Mid Twin. Leo Carillo, CA. 2023)

 

CIミッドの発表後、カスタマーからいつ君のログ・モデルを製作してくれるのか、と尋ねられることがあって、最初は果たしてそれが我々CIにとっての居場所があるかどうかは分からなかった。なぜならCIはパフォーマンスに特化したブランドだからね。しかし、現在のロングボードにおける最高レベルのパフォーマンスは、シングルフィン・ログではないかと改めて考えた。そして古い共通の友人でもあるサンタバーバラのウエイン・リッチを迎え、完成させたのがCIログなんだ。ドナルドが亡くなってしまい、自分自身は途方に暮れていた時期があったんだけど、その後はタイラーやトーマス・ベクソンと共にウエインのボードにも乗っていたからね。彼は優れたクラフツマンであり、サーファーでもある。ブランドが心から信頼するシェイパーだから、CIのカスタマーにも自身を持って提供できるだろ。

 

(CI Log. Ventura, CA. 2023)

 

このモデルはシングルフィン・ログでトラディショナルな部分を犠牲にすることなく、パフォーマンス性も両立しているということだね。

先ほども言ったけど、ベスト・ロングボーダーはWSLであれ、ダクトテープであれ、シングルフィンのトラディショナル・ログに乗っている。ブラジルやハワイ、日本の一部の地域では(サイドフィン付きの)ハイパフォーマンス・ロングボードが依然として非常に人気があるけど、世界的な流れはシングルフィン・ログでのパフォーマンスなのさ。ウエインとは合計13本ものプロトタイプをテストし、最終デザインを完成させた。誰かがこのボードを見て、ああこれはあの人のコピーだとか、特別なものは何もないというものではない。アウトラインからレール、ボトム、そしてフィンに至るまで、特別なもので絶対的な自信があるものになっている。ノーズライドはもちろんのこと、スピード、ドライブ、コントロール性を兼ね備えたログ。実はマイキー・フェブラリーもCIログを手にしていて、すでに高いレベルのロングボーディングを習得している。まだ公開は出来ないけど、近い将来、本人が納得するレベルになれば、その映像を見ることが出来るかもしれない。あと、いまは新たなログのモデル、CIノーズライダーをテストしている段階だから、来年には完成してお披露目できるかもしれないね。

 

CIでの仕事の前は、WSLロングボーディングのディレクターを務めていたよね。

事の経緯は、最初ウィングナットからWSLがロングボードをハイパフォーマンスからトラディショナルの方向に持って行きたいので、ぜひ君に手伝って欲しいと相談があった。私はその方向性はいいと思ったけど、『ノーセンキュー』と答えた(笑)。自分がやるのが良いとは思えなかったからね。言うなれば、ブレイクダンスをしている集団に「明日からはタンゴをやってくれ、ブレイクダンスはもう必要ないよ」、と宣告するようなものだからね。でも、ウィングナットと何度か話し合いをしていくうちに、ツアーでもトラディショナルなロングボーディングが実現できれば、面白いんじゃないかと考えが変わったんだ。

 

結果としてWSLには何年間携わっていたの?

 3年間、計3シーズンさ。改革はかなり大きなチャレンジだったけど、サーファーやジャッジ、それを実行する組織が一丸となって一生懸命やったよ。これは結果がすべてを物語っていると思う。これまでの世界チャンピオンとはまったく違う、ジャスティン・クインタルやハリソン・ローチ、女子はホノルア・ブルームフィールドといったメンツがタイトルを獲得することは以前なら考えられなかった。また、ジョエル・チューダーが再び世界チャンピオンになるなんて、想像していなかった結果だろう。ロングボードでショートボードの動きをしようとするのではなく、世界はそのようなサーフィンを見ることを求め、高評価したのではないかな。サーフィンはとても個人的なもので、自分の好きなように表現できるべきだと思うけど、WSLが取った行動は賢明だったね。その後も良い流れは受け継がれているよ。

 

今回の来日において開催されたトークストーリーでは、『スタイル』をテーマに話しをしていたね。

サーフィンにおいて、スタイルは最も重要なこと。なぜなら、これまでの歴史においても、人々は常に美しさを大切にしてきたから。スタイルはいまでも重要であり、これからもその重要性は変わらない。そしてこれはアートの歴史においても、数千年も続いている。だからこそ、常に意味のあるものだ。スコット・ヒューレットはTSJ でこれに関してかなり洞察力に富んだ文章を書いている。要するに、サーフィンは私にとってスポーツではなく、アートであり、それを表現するのがスタイルなんだ。

 

(Grom Days. San Diego, CA)

 

以前のホームであるカリフォルニア・サンディエゴのサーフシーン、カルチャーについて。サンディエゴで生まれ育ったことは、君の人生にとってどんな意味をもたらした?

サンディエゴにはサーフィンとサーフデザインの長い歴史があり、私はそれをとても誇りに思っている。子供の頃の大きな目標は、(ラホヤの)ウィンダンシーで尊敬されるサーファーになること。ウィンダンシー・サーフクラブのメンバーとしても長年サーフィンをし、私はその目標を達成することが出来たと思う。

いまは家族と北のベンチュラに住んでいるけど、サンディエゴはいつも私の心の中にある。それが私という人間を形成したんだ。素晴らしい波と深いサーフィンの歴史がある特別な場所だからね。

 

君にとってサーフィン、ビーチライフとは?

サーフィンやビーチライフは、いわゆる『特権』。世界中多くの人は、サーフィンやビーチの持つパワーや美しさを体験したり、知ったりすることはないと思う。私たちは毎日健康で、海で遊べるということが、とても恵まれていることだと感謝すべきだね。昨年、今年と日本に来日し、これだけサーフィンにアツい人達がいるのを知ることができ、肌で感じられて良かったよ。私の人生で最も大切なものは家族だけど、サーフィンやビーチでの生活は常に僅差でNo.2なんだ。来年1月には第三子となる女の子が誕生する予定だから、これからも家族でビーチを中心にしたライフスタイルを送るのが待ちきれないね。

 

(The Howards at Ventura, CA. 2023  Photo courtesy of RHC)

 

デヴォン・ハワード●1974年生まれ、カリフォルニア・サンディエゴ出身、ヴェンチュラ在住。シングルフィン・ログからミッドレングスをスタイリッシュに乗りこなし、ジョエル・チューダーと共にCAを代表する存在。『The Seedling』、『Single Fin:Yellow』、『One California Day』などの名作サーフフィルムに出演。近年ではWSLのロングボードツアーのディレクターとしても手腕を発揮し、トラディショナル・スタイルの復権に貢献。2018年よりチャネルアイランズのマーケティング・マネージャーに就任し、CIミッドCIログの開発に携わる。

 

 

インタビュー/川添 澪(かわぞえみお)●神奈川県鎌倉市出身・在住。カリフォルニア州立大学サンディエゴ校・サーフィン部卒。日本の1stジェネレーションのサーファーを父に持ち、幼い頃より海外のカルチャーに邂逅。90年初頭から10年間に渡り、カリフォルニア・サンディエゴ〜マリブに住み、ロングボード・リバイバルを体感。帰国後はON THE BOARD編集長に就任し、GLIDE他の雑誌媒体を手がける。これまで独自のネットワークでリアルなカリフォルニアのログ、オルタナティブサーフシーンを日本に紹介。

 

 

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